アイルランド最後の吟遊詩人 ターロック・オキャロラン
Turlough O’Carolan(ターロック・オキャロラン…1670-1738)はアイルランドで活躍した盲目のハープ奏者であり作曲家。
彼が作曲した哀愁を帯びた数々の名曲は、アイルランドだけでなく世界でも非常に人気がある。
今日のアイルランド伝統音楽に欠かすことの出来ない人物だ。
※近年はアイルランド語の発音に従い、「トゥールロホ・オ・カロラン」と表記している事も増えてきましたが、当ブログでは「ターロック・オキャロラン」で統一してます。
ターロック・オキャロランの経歴
まずは経歴をざっくり知っておこう。
1670年にアイルランドミーズ州ノバー近郊で生まれる14歳の頃に父親がロスコモン州の鉄工所に雇われたので家族でロスコモン州に移住 18歳で天然痘(てんねんとう)を患い失明 鉄工所のオーナーであるマグダーモット・ロー家夫人の後援により地元のハープ奏者の下へ見習いに出される 3年後、ハープ奏者として最低限必要な技能を身につけた彼に、夫人はハープと馬と介添人を与えて旅に出す その後はアイルランド中を旅しながら、様々な雇い主の下で演奏を続けた |
以上がターロック・オキャロランの簡単な経歴だ。
※更に詳しく知りたい人は伝記を探して読もう。楽譜集にも伝記が書いてある物があるみたいです。wikiとかにもめちゃ詳しく書いてあります。
天然痘により光を失いながらも、アイルランド中で演奏を続けてきた彼の作る曲は、アイルランド伝統音楽の中でも重要なレパートリーとなり、現在も人気が高い。
ターロック・オキャロランの曲集
ターロック・オキャロランの全集で213曲が収録。ページ数は378ページで、曲の注釈や回想録、最初の出版以降に新しく見つかった曲や事実なども色々掲載されている。
ちなみに日本語版は無い。
盲目のハープ奏者
現在のような社会保障なんて無い時代では、障害を持っているとまともな職に就くことは難しいし、盲目ともなれば死を覚悟しなくてはならない・・・。
でも「耳」が聞こえて「手」が動きさえすれば楽器の演奏は出来る。楽譜は読めなくても問題ないし、元々アイルランド伝統音楽は口承の文化。耳コピでOKな世界だ。
食べていけるかどうかはその人次第だが、盲目でも問題ない。なのでオキャロランだけでなく、過去のアイルランドでは盲目のハープ奏者っていうのは結構いたようだ。
余談だが、オキャロランの生きていた頃前後(16世紀後半~17世紀前半)のハープは、楽器の中でも最上位の存在とされていた。上流階級のステータスの1つになるほどに流行していたようだが、17世紀後半にはほとんど演奏されなくなっていった。
演奏は平凡、作曲は非凡!
「盲目の音楽家」と聞くと、素晴らしい演奏をするんじゃないかと思う人はきっと多いだろうけど、ハープ奏者として各地を巡りだした頃のオキャロランはそれほど演奏が上手くなかった。
演奏技術について他の奏者からもからかわれ、巡業先のパトロンにも余り評価されなかったようだ。
それもそのはずで、元来ハープっていうのは幼い頃からの訓練が必要な難しい楽器なんだけど、オキャロランが練習を始めたのは失明した18歳以降。もちろん隠されたハープの才能が爆発して超絶テクを手に入れたなんて事は無かった。
なんとか最低限必要な技術や曲を習得した彼は、わずか3年で介添人とともに旅にでた。
そして最初に訪れたのは、コノートのリートリム州にあるジョージ・レイノルズという貴人の屋敷だった。しかしやはり、演奏技術の拙さを指摘されてしまう。
しょんぼりしているオキャロランに、ジョージ・レイノルズは曲を作ってみないかと提案してきた。そして、地元に伝わる妖精の伝説を語って聞かせた。
それを元に作られた曲が、処女作の Sí Bheag, Sí Mhór(シーベグ・シーモア ) だ。
↑ローホイッスルとギターでの演奏
ジョージ・レイノルズはこの曲を大変気に入り、オキャロランにもっと作曲に力を入れるように励ましたと伝えられている。
この出会いにより作曲の才能を開花させたオキャロランは、その後アイルランド各地を巡りながら様々な名曲を作り出していくことになる。
国中から愛された吟遊詩人
アイルランド中から愛された彼にもこの世を離れないといけない時がやってくる。
自らの死期を悟ったオキャロランは大恩あるマグダーモット・ロー家へと戻った。
そして彼に残された最後の力を振り絞り、Farewell to music(音楽への別れ)を作曲した。その後1738年3月25日に、オキャロランは息を引き取る。
別れの宴は数日間行われ、アイルランド中から彼の死を惜しむ人々が押し寄せた。
現在彼の遺体はロスコモン州のキルロナン墓地に埋葬されている。
お墓には様々な国のコインが置かれており、いまなお世界各地からファンが訪れているようだ。
最後に
盲目の彼は自ら楽譜を書くことは無かったので、その演奏を聴いたハープ奏者などによって伝えられていったり、書き記されていく。
そうして間接的にしか残っていないので、今現在わかっている曲以外にも、実はオキャロランが作曲したって言う曲がまだある……かもしれない。見つかったら嬉しい、主に僕が。
「国民的作曲家」「アイルランド最後の吟遊詩人」と称されたターロック・オキャロランは現在も非常に人気が高く、アイルランドの50ポンド紙幣にもその肖像が使われた。
YouTubeをちょっと検索するだけでもたくさん演奏動画がでてくるので、ぜひ聴いてもらいたい。
オキャロランの作りだす音楽の虜になること間違いなしである。